大宇宙屋ができるまで(きく編)
私が「私」になる迄私は、美術系の学校を卒業し、イラストレーターとして会社に就職しました。その会社で会った先輩の影響で私はアフリカのケニアという国に暮らす機会を得ました。それまで、特にケニアに対して深い思い入れがあったわけではなく、イメージとしては、ケニアを舞台としたテレビ番組、「野生のエルザ」くらいのものでした。
一年に渡り、いろいろなものを見聞きし、経験をしました。最初の半年は学校で暮らし、後半の半年は旅行をしながらケニア在住の日本人の画家の家に居候していました。
その時には分からなかったのですが、一年あまりの間に、徐々に私は「私」になりました。どこがどう変わったと言うのではありませんが、余分な物が剥ぎ取られて、本来の私が顔を出したといったところでしょうか。決して、生まれ変わったと言うのではありません。
当時、私がケニアに滞在していた時期と合わせたかのように、周囲の状況は刻一刻と劇的に変化を遂げていました。戦争がありました。革命もありました。病気も出ました。国名も2つ変わりました。先の事など、まったくわからない、どんなに凄まじい、私などが想像も及ばない状況であっても、人は生きていくのです。時は流れていくのです。・・・本当にすごいことです。
そういう事がリアルに感じられる所で暮らしていくうちに、気が付けば私の中に「今、できることを精一杯」という思いが明確な形となってありました。これは今に至る迄、私の思いの根幹となっています。
・・・お陰で、今だに先を見通すということが苦手です。(苦笑)出来ないといった方が良いのかも知れません。私はこの先に自分の予想通りの事が起こるなんて、信じられないのです。でも、それを補うように、事態への順応力(適応能力)はそれなりにあると思っています。イラストレーションについて
私は「描く」ことが好きです。「描く」ことにおいて、私が目指している方向は「職人」といったほうが意味的に近いかも知れません。私が「描く」場合、必ず相手が存在します。「相手のニーズに答えられるだけのクオリティを持つもの」という事は相手がいる仕事をする場合、これを常に意識していないとなりません。
世の中に「描く」人は、それこそ、星の数程いると思います。そのなかで私みたいな小さな星は、小さいなりに、常にニーズに答えるための自分の幅を増やしていかないといけないし、そのなかで自分の可能性を探っていくことを常に意識していないといけないと思っています。マライカとの出会い
私のパートナードッグはマライカという名前の黒いキャバリア犬です。マライカという名前はスワヒリ語で「天使」という意味です。マライカと出会ってからの数年、私は、動物を描く機会がとても増えました。実際、マライカの以前にも犬と暮らしていましたが、彼と出会ってから、急速に「動物(主に犬)をモチーフにした絵」を描くという事を意識しはじめました。
また、それに伴って犬に関して厳しい先達の方から、動物を描く上で基本となる事、決してはずしてはいけない大切な事等を、くり返し学習させていただきました。私の絵に一つの方向性が与えられたのだと思います。
私は、この出会いを思い起こす度に、何かに感謝せずにいられないのです。きくはうす
ある時、私は地方情報紙を読んでいて、ふと「体験講座」というコーナーに目がとまりました。それは、トールペイントという技法を紹介する講座でした。私がト−ルペイントに抱いていたイメージは、「草花などをモチーフとした装飾的な技法」だということでした。もともと私は、個々の草花に対して知識が乏しく、そのために草花を描くのに苦手意識を持っていました。「自分の作品の幅が広がるかも知れない」と軽く思い、その講座を受講することにしました。
トールペイントは初めて体験した人でも短時間で完成度の高い作品が仕上げる事が出来ます。それは何故かと言うと、とても確立したストローク技法とト−ル用に開発された絵の具を使い、絵を完成させるためのプロセスがきっちり組まれているからなのです。作品の思い掛けない仕上がりを見て、ずっと、美術のアカデミックな教育を受けてきた私は、ある意味、とてもカルチャーショックを受けました。そうして、体験講座に向かう以前とその後ではすっかり気持ちに変化が起こってしまい、結局、そこの教室に数年通い、トールペイントの講師の資格を取りました。
講師の資格は取ったものの、世の中にはたくさんのトールペイント教室が有り過ぎる・・・とぼんやりしていた私は、マライカを通して知り合った友人の家のボードの注文を受けました。そのボードを呆れる程のんびりと仕上げた私の所に、注文してくれた友人が、ボードを受け取りに来てくれました。ボードには、友人の愛犬がとても大きく描かれていました。その絵を見て、彼女と彼女に同行していた2人が私に犬の絵を描くトールペイント教室を開く事を勧めてくれて、その3人が私の最初の生徒さんになってくれたのです。
主に犬と草花を描くトールペイント&教室「きくはうす」は、こうして始まりました。サンズさんへ
トールペイントの生徒さんから、一つの冊子をもらいました。それは、「サンズ・ヴォイス」というもので、生徒さんの家の近くに開店したサンズというというお店の話を聞きました。その冊子を読んでかなり好感を持ったのですが、私は、あまり営業が得意ではないので、それはもう、おっかなびっくり作品と作品ファイルを持って、町田にあるサンズさんを訪ねていきました。
サンズのオーナーさんはとても気さくな方で、話をしているうちに、サンズのお店の定休日に店内でトールペイントのお教室を開いても良いという許可をくださいました。ありがたいことです!!!その後、これは、サンズの開店前にお教室を開くと言う形になり、現在も続いています。サンズさんでお教室を開くようになってしばらくして、サンズさんが企画したサンズオリジナルグッズを私が製作する事になりました。その打ち合わせをしている時、サンズさんから一枚のラフスケッチの手直しを頼まれました。
それは、インカープレートの原画で、私の得意なキャバリアの絵が描かれていました。その絵を手直しさせてもらいながら、はじめて、進藤千津子さんの事を知りました。そらちゃんです。知ってから、改めて店内を見回すと、そこかしこに進藤さんの企画商品がありました。私は、自分の仕事柄、「デザイナー」という方々と接する事が比較的多かったので、その時もすんなりそう理解しました。
デザイナーの進藤さんを知ってから、何か月後かに、サンズさんのレジ近くの商品棚に茶色い犬のやきものを見つけました。興味を惹かれた私に、サンズさんが説明してくれました。それによると、デザイナーの進藤さんが岡山に一ヶ月も出かけて本格的に焼いてきた備前焼の犬だということ・・・。「は?」と言ったまま、説明された内容の理解もできずに、備前焼き犬をただ呆然と眺めていたのを覚えています。サンズというお店は、オーナーの懐が深く、人間的な間口も広いので、たくさんの人が色々な物を持ち込みます。その全ての人と出会うのは無理です。未だに、そらちゃんの他には、もう一つの所の人達しか知りません。いろいろな偶然とサンズさんのオーナーの心遣いで私はそらちゃんと仕事上のタッグを組む迄になりました。不思議なものです。出会った頃は、こういう展開になろうとは、それこそ夢にも思っていませんでした。
菊ピコ
当時、私はまったくのやきもの素人でした。今だって、そんなに深いとは言い難いですが、当時よりは少々マシにはなってきたと思います。「備前焼」を知らなかったのは、ある意味、仕方が無かったかも知れませんが、さらに言えば、「陶器」と「磁器」の差もわかっていませんでした。「陶磁器」と堂々と言い放ち、そらちゃんに軽い目眩を起こさせた事もあります。
私は洋食器の絵付けの経験がありましたので、和陶器の絵付けをそらちゃんが言い出した時、とても軽い気持ちで引き受けてしまいました。しかし、その考えがものすごく甘かった事を思い知らされたのは、最初の絵付けが終わった時でした。それはもう散々な作品を作ってしまったのです。
あまりにもひどかったので「こりゃ、もう次回は無いな!」と私は内心思っていたのですが、そらちゃんは全然あきらめませんでした。次から次へと素焼きが焼かれて来て、私はひたすら描いていました。素焼きの上だと筆が思ったように走ってくれず、呉須も伸びてくれません。筆には慣れていたつもりでしたが、素材が違うとこんなにも大変な事なのかと描けば描く程、実感させられました。でも、そんな泣き言は自分一人の作業であれば言えますが、目の前の作業は共同作業であって、素焼きを作っているのは、私以外なのです。
最初のうちはとにかく闇雲に一生懸命に描くだけでしたが、数をこなしていくうちに、おぼろげに自分が何を知りたいのかが見えてきました。そこで、新設された染め付けの教室に通う事にしました。そこで、私は知りたかった事を学ぶ事が出来ました。そうすると、必然的に徐々にではありますが、作品の質も上がってきます。それと前後して、私の「きくはうす」とそらちゃんの「ピコピコ」の名前を合わせた「菊ピコ」という名前で共同作業した陶器を持って、そらちゃんが営業に動き出しました。
私は、実感せざるを得ませんでした。「長いスパンで考える事のできる人なんだなぁ・・・。」と。そらちゃんは、じっと、私の技術水準が上がるのを待っていたのでした。まり2号さん
私は、パソコン音痴です。それに起因するのでしょうが、メールも一週間に数回開けば良いところ、HP等のネットに関しては、誰かに頼まれた時か、必要を感じる時で無いと繋いでいませんでした。今だにネットサーフィンなどは、ほとんどやりません。
そんな私が、ウェブショップに参加するとなれば、パソコン面においては、人様のお力を頼る形になってしまいます。それはもう、申し訳ない事です・・・。(「きくはうす」のHPは私の参加しているキャバリア工芸村というウェブの村長さんが作って下さいました。)
ウェブショップ「菊ピコ」と「ピコピコ」そして、「オフィスC」の代表をしているそらちゃんは、HPを製作し、やきものを作り、発注作業をこなし、仕入れに奔走し、経理等の事務作業をこなして営業を・・・。私も、フォロー出来るところは可能な範囲で手伝っていましたが、やはり、タカが知れています。ある日、そらちゃんから妙に晴れやかな電話を貰いました。しかも、めずらしく熱弁で「良い人がいるのよ!」と、それでも、彼女らしく順序立てて語っているのです。その語り口を聞いて(内容を聞けよ!(苦笑))ああ、良い事があったんだなと実感しました。
それからしばらくして紹介されたのが谷田部まりこさんでした。ネットでの名前は「まり2号さん」というらしいのですが、私は通常「まりさん」と呼ばせてもらっています。
はじめのうちは、素焼きを運ぶために、まりさん宅にそらちゃんが車で出かけたり、たまに私も一緒に行ったり、まりさんやまりさんの息子さんが電車で運んできてくれたりしていました。(当時の菊ピコは「移動式」といっても良いくらい、いろいろなところで製作していました。製作場所、製作行程が定まっていなかったのです。)
いろいろなやり方を試しているうちに、私が電車でまりさん宅に通い、そこで絵付けをさせてもらうのが一番安定した形で仕事を進められると言う事に落ち着きました。絵付けを進めている時、筆が休み無く動き続けているのは当たり前の事ですが、口も休み無く動き続け(笑)、私とまりさんが話す機会もグンと増えました。
知れば知る程、技術的(パソや陶芸、経理 他)にも人間的(わたしとそらちゃんのダメダメ部分を補ってあまりある度量とか、前向きな姿勢とか、とてもかわいらしい部分とか)にも、「無くてはならない人」という実感を新たにしました。気が付けば、私は、すっかりまりさんが好きになっていました。
私達の三角形がうまく形成出来はじめたのが感じられました。
餃子を食べながらまりさんが加わって、「菊ピコ」という名前を変えようという話しになりました。色々話し合って、「主に犬雑貨 大宇宙屋」というのが最有力になってきていました。
年末、3人で忘年会をしようという話しになりました。私の家の近くに、安くて美味しい餃子の専門店があります。そこのニ階のお座敷の窓際に陣取りました。
年末の昼間だったせいか、私達の他は誰もいませんでした。大きくて熱い餃子をホクホクしながら頬張りました。私の脇には、そらちゃんから貰ったチョーカーとまりさんからもらったワインが置かれていました。お酒も飲んでいないのに、私はすっかり御満悦でした。そんな時、そらちゃんに「今までは二人に外注として手伝ってもらっていたけど、これからは三人が同じ立場のスタッフとして新しくシステムを作り直し、三人の共同経営のような形にできないかしら」と相談されました。
私は、口をもぐもぐと動かしながら、隣に座っていたそらちゃんの目を見て、斜め前の座っていたまりさんの顔を見ました・・・。そらちゃんの言葉の意味を理解し、すっかり飲み込んだ頃、大宇宙屋はスタートしたのです。