大宇宙屋ができるまで(そら編)
過去の仕事について私は未来に焦点の合ったものの考え方をしがちです。
もちろん、起こす行動は今できることでしかないわけですが、その行動は大抵の場合未来のためにあります。
何年後にこうなっていたい自分があるから、それに向けて流れを作るべく今できる行動を起こす、というのが私の行動パターンの常です。ですので、行動する全てのことは、目的ではなく経験だと思っています。さて、私は技術系の学校、仕事、広告業を経て、自営でデザインの事務所を始めました。
ちょうどそれまで手作業の世界だったデザイン業界に、コンピュータの技術が入り始めたところで、これからはコンピュータを使ってデザインする仕事のやり方が主流になるはずだと読んだからです。それは絵の好きなコンピュータエンジニアだった私には、うってつけの仕事でした。
読みは当たって仕事はとても忙しくなりました。同時にPCの技術はすごい勢いで進歩し、安価になり、一般に浸透し、簡単になり始めました。 そのうち誰にでも扱えるようになってしまえば、このままピークを迎えて今度は仕事がなくなってくるはず、あまりにも忙しく、どんどん消耗していくばかりで、新しく何かを吸収しなければ、ピークを越えたときにスカスカになってしまった自分が残っているだけだろう、そう思って数年後に仕事を減らす決心をしました。次への準備段階とレイとの出会い
時間を作って、一人旅にでかけました。もともと興味があったやきもの巡りを中心にした旅でした。それまでは見るばかりで自分が作ってみたいとは思いませんでしたが、その旅で初めて『私もやってみようかな』と思うようになりました。
私には障害を持った弟がいます。私がまだ小学生の頃、家族で備前焼の窯元に遊びに行ったことがあるのですが、ろくろを回していた職人さんを見て、母がぽつりと「あの子ももしかしたら、こういう仕事だったらできるかも…」とつぶやいたことがあります。その言葉が子供だった私の意識の下の方にインプットされて、弟のための道を作ってやりたいという思いが無意識のところに常にあり、それによってやきものに引き寄せられてしまったらしいというのは最近気づいたことなのですが…
旅から戻って、陶芸教室の門を叩きました。陶芸家である先生に「私は自分が陶芸家になりたいとは思わないけど、趣味以上のものを得たい」と伝えました。先生は若いけれどもとても奥行きのある人で、私の個性を受け入れて伸ばしつつ、その思いに沿った指導をして下さいました。
平行して念願だった犬を飼い始めました。
母親が動物好きで、犬や猫が捨てられていると放っておけずによく拾って来ておりましたので、実家にはいつも当たり前のように犬や猫がいました。実家から離れて犬のいない生活で寂しく思っていたのですが、夫にしつこくお願いしてやっと犬を飼うことを許可してもらえました。
翌日から『うちの子』探し。犬種は形のユニークさに一目ぼれしてしまったコーギー。何ヶ月も『この子と暮らしたい』と思える子を探し回り、ようやく一頭のぼんやりした顔の子に会いました。
会った途端、「あ、この子だ〜」と思いました。その子は2ヶ月半程に育っており、もう一頭の姉妹犬とじゃれて遊んでいました。業者さんによるとそっちの子の方が模様の入り方などもいいのだそうですが、なぜだかぼんやりした顔の方の子が気に入ってしまったのです。
その子を我が家に迎え、レイと名付けました。ピコピコ
子犬のレイはワルワルで、家の中を荒らし回ってくれました。レイに振り回されながらも、楽しい日々を送っていたある日、散歩中にコーギーをつれた同年代の女性に会いました。「こんにちは〜」と話しているうちに意気投合し、お互いの家に行き来するようになりました。
そのコーギーの名前はピコ。ピコママは裁縫が上手で、私のデザインと合わせて二人でいろんなものを作りました。雨上がり用雨合羽、 サニタリーショーツとサスペンダー、お散歩バッグ、IN CAR プレート、シールなどなど… それらはとてもいい出来で、自分たちで使っていて実際にとても便利だと思いました。ちょうどその頃インターネットが日本で一気に流行しており、私はインターネットでものを販売することを経験してみたいと思っていました。その商品を売ること自体が目的ではなく、将来的に何かをするための準備段階としてネットショップを経験をしてみたかったのです。
そしてそれら手作りのコーギーグッズは、その目的にちょうどぴったりの商材だなぁと思いました。それに、とても使い勝手がいいのでみなさんにも使っていただけるといいなと思いました。
そこでピコママに「これらをネット販売してみない?」と持ちかけて縫製を担当してもらい、『ピコピコ』という名前で販売することにしました。サンズさんと菊ちゃんとの出会い
ネット販売のかたわら、当時近くにできたばかりで、犬仲間にとても評判の良かった『サンズドッグコミュニティ』という犬グッズのショップさんにも営業して、商品を扱っていただけることになりました。
サンズさんはとても良くして下さいました。オーナーさんはきれいで可愛らしく、しかも頭も切れ、犬のことを真剣に考えているとても素敵な女性。ショップのポリシーもしっかりしています。
私は取引をするにつれてこのオーナーさんがとても好きになり、サンズさんとずっといいおつきあいをしていきたいと思うようになりました。サンズさんに何度か出入りするうちに、私と同じように犬のトールペイントの作品の持ち込みをしているイラストレーターの重松菊乃さんと何度か顔を合わせるようになりました。菊ちゃんです。
この頃はまだ、顔を合わせても挨拶程度しかせず、お互いのことをほとんど何も知らずに1年くらい過ぎてしまいました。ある日、サンズさんからお電話をいただきました。
「進藤さん、重松さんと一緒にグッズを作ってみたらどうかしら。二人で合作すれば、面白いものが作れると思うんだけど…」そう言って、サンズさん、菊ちゃん、私の3人で食事会をセッティングしてくださったんです。しかもおごり…サンズさんって、なんて太っ腹、なんて大きい人なの…その後、急速に菊ちゃんとの仲が深まりました。話をしてみると、新しい発見がたくさんありました。私と菊ちゃんは得意な部分が面白いようにずれているんです。
・菊ちゃんは女の中で生きてきた、私は男の中で生きてきた。
・菊ちゃんは文系、私は理数系。
・菊ちゃんはスワヒリ語が、私は英語がわかる。
・菊ちゃんはイラストが描け、私はデザインができる。
・菊ちゃんは短期集中型で、私は少し先を見る。
・菊ちゃんの絵はくっきりと主張し、私の絵はおっとりと包み込む。
特に絵は、二人でひとつのものを 一緒に描くととても面白い。描いた絵に交互に手を加えていくと、ちょうどバランスのいい絵ができ上がるのです。作家としては個性がなくなってしまうかも知れませんが、商品を開発するには絶妙のバランスです。
違うところだらけなのに、基本的な人の部分がとても共感、尊敬できるのです。二人ともそれぞれ一人で仕事を売っていく方法を考えたり営業したりという、同じ体験を共有しているせいかも知れません。
私たちはお互いに足りない部分をフォローし合える、お互いにとってとても大切な存在になっていきました。さて、菊ちゃんは犬雑誌などにイラストを描いているだけあって、犬の絵が得意でした。しばらくはIN CAR プレートのデザイン詰め直しや、シールの開発などの話を進めていたのですが、そのうち陶器に犬の絵を入れてみようかと思うようになりました。最初の頃は呉須での絵付けに慣れないようでしたが、下絵付け教室にも通って練習し、絵付けのしやすいデザインを考えて工夫するうちに、みるみる上達していきました。
菊ちゃんはもうこの調子で大丈夫だと思えるようになって二人の合作を『菊ピコ』とし、お店にも少しだけ営業してみました。このころから生地の制作をしてくれる人が誰かいるといいな、と漠然と考えるようになりました。まり2号さん
ある日突然、谷田部まり子(まり2号)さんのことが頭に浮かびました。
私は時々何かから与えられたようにひらめくことがあり、それに従っていると大概失敗することはないので、なぜまり2号さんのことが頭に浮かんだのか考えてみました。
まり2号さんとは陶芸を通じてネットで知り合い、備前焼の師匠の展示会を見に来て下さったのをきっかけに、何度かお会いしたことがありました。ネットでお話するうちに、信頼のおける人で、頭も良い人格者という認識が私の中にあり、当時犬を飼い始めたばかりでした。でもそれ以上に、私が求める一緒に仕事をしたい人の像にぴったりなことに、考えるうちに気づいたのです。
犬好きなこと、自分か配偶者か親が経営者であること(家族が経営者だと、仕事の流れや原価計算などが自然に正しく身に付いていることが多いのです)、向上心が強いこと、コツコツ努力する人であること、自分の意見を持っているが違う意見も受け入れられること、人の輪を作るのがうまいこと、職人タイプであること、などなど。このうちのいくつかは私に足りない部分をフォローしてもらいたいという部分もあってのことなのですが。また、自分なりの正義感を持っていて、善悪の基準が似ていることも安心感のひとつとしてありました。そうか、まり2号さんのことがひらめいたのは、仕事を手伝ってもらったらいいということなんだなぁと理解し、菊ちゃんに「いい人がいるの」と話してみました。菊ちゃんも了解してくれたので、まり2号さんに「一緒に犬のやきものを作る仕事をしてみませんか」と話してみました。
説得が必要かと思っていたら、意外にもあっさりと二つ返事でOKをいただき、制作を手伝っていただくことになりました。大宇宙屋に
しばらくはピコピコの仕事を菊ちゃんとまり2号さんに外注として手伝ってもらっていたのですが、だんだんと私がいっぱいいっぱいになってきてしまいました。自分自身がとうぶつ(陶器の動物)作家としての活動も依頼されるようになり、あれもこれもと平行してこなしていたら自分のキャパシティを越えてしまったようで、頭がうまく回らなくなってきてしまったのです。(小さいな〜、私のキャパ…)
その頃ピコママも縫製の仕事をやめたいと言い出しました。彼女の才能を高く買っていたので残念に思いましたが、彼女が決めることですから仕方ありません。合羽やショーツを商品を気に入って下さっているお客様もたくさんおられるので販売中止にするわけにもいきませんし、慌てて縫製をやってくれる他の人を探し、とても頼りになる内職さんが見つかりました。独立してからそれまで、私はほとんど一人で仕事をしてきました。人と協力して何かをやるときも外注という形をとって、お互いに使ったり使われたりの関係でやっていました。でも、人とチームを組んでの仕事のやり方をそろそろ学ぶ頃だと感じていました。一人ではいくらがんばっても一人分の仕事しかできないことが見えてきたからです。二人なら二人分以上のことができるのではないか、三人なら…
数が多くなると今度はまとめるのに難しいでしょう。二人だと意見が合わなくなってしまったときに煮詰まってしまうかも知れません。三人って、とてもバランスのいい数かも… せっかく菊ちゃん、まり2号さんという安心して頼れる人たちが揃ったのだから、この環境を生かさないのはもったいない… と思いました。
そこで三人が集まったときに、「今までは二人に外注として手伝ってもらっていたけど、これからは三人が同じ立場のスタッフとして新しくシステムを作り直し、三人の共同経営のような形にできないかしら」と相談してみました。こうして2003年の2月に、大宇宙屋はスタートしたのです。